INTORODACTION

寡作でありながら作品を発表するたびに絶賛されるテレンス・マリック監督。この夏公開されるブラッド・ピットとショーン・ペンの共演が話題の最新作 『ツリー・オブ・ライフ』も第64回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを獲得した。73年の初の長編監督作品『バッドランズ』(地獄の逃避行)以来、 約40年間に5作品という寡作ぶりや独特の撮影スタイル、ギャラや役柄を 問わず出演を熱望する大物俳優が列をなしていること、 公の席になかなか出てこないことなどから、生きながらにしてすでに “伝説の監督”と崇拝されている。

『天国の日々』はマリック監督の長編第二作にあたる。 第一次大戦さなかのアメリカ中西部を舞台に、季節労働者となって農作物の収穫期に各地をさまよう移民たちの希望と絶望を、繊細な感情の揺れ動きに焦点をあてた演出や、ため息の出るような詩的な映像美とともに描き出している。

78年の公開当時、リチャード・ギアは『アメリカン・ジゴロ』や『愛と青春の旅立ち』で大ブレイクする直前であり、サム・シェパードは本作が本格的な映画デビュー作だった。大スターの出演作でもなく、観客にわかりやすく移民の 説明がなされるわけでもない。歴史や宗教、社会的背景は暗黙の了解であって、ただ静かに移りゆく時間の中で予定調和的な悲劇が訪れる物語が 地味だとされたのか、当初アメリカでは興行面では成功しなかった。 しかし当然のことながら作品を見た批評家はこぞって大絶賛。 ニューヨーク映画批評家賞監督賞をはじめ、ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀作品賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞撮影賞、 同年のアカデミー撮影賞などを受賞(その他衣裳デザイン、音響、音楽各部門でノミネート)。さらにカンヌ国際映画祭監督賞など、数々の映画祭で 高い評価を受けている。

そんな名作の誉れ高い作品であったが、日本ではアメリカの興行成績の影響からか、劇場公開されたのは製作から5年たってからだった (劇場公開:1983年5月13日~6月16日/劇場:シネマスクエアとうきゅう/動員数:1万8667人/興収:¥25,014,000)。 その評判にもかかわらず、残念ながらヒットにはならなかったが、フランソワ・トリュフォーの映画で知られる撮影監督・故ネストル・アルメンドロスによる自然光をいかした映像の美しさ、人間の営みや移民の悲哀、若者の青春の 挫折といった、いくつもの壮大で普遍的なテーマを、 自然と共に暮らす人々の日常や細やかな感情表現の積み重ねで浮かび上がらせてゆく作品は名作と呼ぶにふさわしく、 一部の熱狂的なファンによって崇拝されることになった。

特にこの作品を特別なものにしているのはため息が出るほど美しい映像だろう。 撮影を担当したネストル・アルメンドロスはスペイン生まれのキューバ育ち。父親が作家でフランコ独裁政権から逃れるためにキューバに移り、 大学で文学と哲学を学ぶかたわら短編映画を撮っていた。その後、ニューヨーク市立大学やイタリア国立映画実験センターなどで映画を学んだ後、 カストロの革命が起こり、カストロに批判的なドキュメンタリー映画に取り組んでいたことがきっかけとなってヌーヴェルバーグが注目されていたフランスへ脱出。 エリック・ロメールやトリュフォーの作品の多くを手掛けたという異色の経歴の持ち主だ。『天国の日々』の撮影はアルメンドロスが撮影した 『野生の少年』のモノクロ映像に感銘を受けたマリック監督が熱望したものだという。

マリック監督はアルメンドロスに人工的な光はなるべく使わない方針を伝えたという。 時間と機材の手配次第で撮影の多くをその場で決めていく自由度の高いマリック監督のスタイルはいまも変わらない。 アルメンドロスはそこで自然光をいかし、フィルターを使わず、画家フェルメールの絵画のように、室内では窓から入り込む光や一つの光源しか使わない方法を用いて、サイレント映画へのオマージュとした。またあの美しい黄金色の麦畑をはじめとする外のシーンは朝焼け、または夕焼けの前後の時間帯(マジックアワー)に撮影し、 それ以外の日中は準備に費やされたという。 残念ながらトリュフォー監督の『恋愛日記』のスケジュールがすでに予定されていたため、限られた日数でしか参加できなかったが (残りはハスケル・ウェクスラーが担当/編注:ネストル・アルメンドロスのインタビュー参照のこと)、映画史に残る素晴らしい映像となった。

『天国の日々』という題名は旧約聖書の「申命記」に出てくる言葉からとられたもの。「申命記」はモーゼが約束の地に入るイスラエル人に対して与えた律といわれ、「唯一の神ヤーウェを愛していれば約束の地(天国)に住む日数=天国の日々が多くなる」ことが強調されている。 また、全体の構成が「創世記」から借りたもの(ビルとアビーが兄妹と偽るのはアブラハムとサラの関係と同じ)であったり、<小麦の刈り入れ>や<イナゴの来襲>などを映画の重要なシーンとして扱うなど、聖書を想起するエピソードが物語の骨格を成している。

マリック監督は『天国の日々』以後、約20年間、映画制作から遠ざかって いたが、その沈黙を破ったのが太平洋戦争の激戦地となったガダルカナル島の戦いを描いた『シン・レッド・ライン』(98年)だった。 この映画では伝説のマリック監督作品の出演を熱望する俳優が殺到し、 ショーン・ペンをはじめ、ジョージ・クルーニー、ジョン・キューザック、 ウディ・ハレルソン、ニック・ ノルティ、ジョン・トラボルタなど、 そうそうたる顔ぶれが揃い、ベルリン国際映画祭金熊賞やニューヨーク批評家協会賞監督賞/撮影賞などを獲得、見事な復活を果たした。

長編第4作となる2005年の『ニュー・ワールド』はアメリカ人なら誰でも知っているポカホンタスとジョン・スミスのラブストーリーだったが、この作品に出演したクリストファー・プラマーはテレンス・マリックについて 「彼はどこか地方都市の大学教授が何かの拍子に ショービジネスの世界に迷い込んでしまったような人物」と評し、そのスタイルについて「映画業界特有のやり方をいっさい拒み、独自のやり方で進めていこうとする。 そんなところを尊敬している」と語っている。またクリスチャン・ベールは「マリック監督はとても自然で流動的な撮り方をするんだ。彼は打ち合わせや リハーサルをすることを嫌い、(何も言わず)現場でいきなりはじめようとする。だから、誰もが生まれて初めてそのシーンを演じる形になる。 監督はミスや突発的な出来事をわざと求めていた。そういうシーンは嘘がないから。僕はこの撮り方を歓迎している」と語っている。 役者にとって演じることそのものに自由度があることが出演を熱望する理由なのかもしれない。 主演のリチャード・ギアはこの作品に次いで撮影した 『ミスター・グッドバーを探して』(77)で人気を博し、『アメリカン・ジゴロ』(80)『愛と青春の旅立ち』(82) でスター俳優の仲間入りを果たした。 恋人アビー役を演 じたブルック・アダムズ、チャック役のサム・シェパー ド、妹役のリンダ・マンズもそれぞれ素晴らしい演技で注目を集め、この映画がきっかけとなってキャリアを築いた。また、『真昼の決闘』(52)や『荒野の七人』(60)など、古くから脇役として活躍するロバート・ウィルクが 射るような眼差しでビルを威圧するベンソン役で、ベテランならではのいぶし銀の演技を見せつけている。

その他のスタッフに触れておくと、美術のジャック・フィスクは舞台出身で、映画の初仕事はマリック監督の「バッドランズ」(地獄の逃避行)。この作品がきっかけでシシー・スペイセクと結婚。 その後『リップスティック』(76)『キャリー』(76)『ブルックリン物語』(78)などを手掛けハリウッドでキャリアを築いた。 以後もマリック監督作品には『ツリー・オブ・ライフ』まですべて 美術監督として参加。続く最新作も担当する。 制作のバード&ハロルド・シュナイダー兄弟は60年代末にBBSプロダクションを創設して 『イージー・ライダー』(69)『ファイブ・イージー・ピーセス』(70) 『ラスト・ショー』(71)と立て続けにニューシネマの名作を作り上げた黄金コンビとして有名。兄のバートは近年日本で公開され話題を呼んだ「ハーツ・アンド・マインド/ベトナム戦争の真実」(74)でアカデミー賞最優秀記録映画賞を受賞している。 なお、マリック監督は、今年早くも(!)ベン・アフレック、ハビエル・バルデムなどの出演する次回作(6作目)に取り組んでいる。

STORY

第一次世界大戦が始まったころ。シカゴの製鉄工場で働くビル(リチャード・ギア)は過酷な労働に耐えかね、いざこざを起こして仕事をやめた。ビルは妹のリンダ(リンダ・マンズ)と食うや食わずの生活で、他の移民たちと同様貧しさにあえい でいたが、まだ少女である妹の面倒をみて、互いを励まし合っていた。二人はビルの恋人アビー(ブルック・アダムス)と三人でシカゴから飛び出し、新しい何かを求めて冒険の旅を始めることにした。 ビルはどこでもアビーを妹として紹介した。そのほうが世間を渡りやすかったからだ。

旅先で麦刈り人の季節労働の募集があり、三人はテキサスのバンハンドル地方の農場で働くことになった。見渡す限り黄金色の広大な麦畑の光景を目にし、漠然と期待を抱くビル。リンダは少女らしい感性で、季節労働に雇われた、さまざまな国から来た移民たちに接しながらいろいろなことを学んでいく。 しかし収穫が始まると朝から晩まで汗と泥にまみれ、麦を刈り、束ねる作業が延々と続く。休む暇もなく、くたくたになりながら、日が暮れるまで働く労働者たち。少しでも麦を無駄にすると減給され、サボればクビになる。代わりはいくらでもいた。 それは都会と同じ過酷な労働だった。

そんな日々が続くなか、彼らに転機が訪れる。若くハンサム な農場主チャック(サム・シェパード)がアビーに目を付けたのだ。チャックの両親はすでになく、彼はひとり身で孤独だった。そのうえビルはひょんなことから彼が不治の病で医者が余命はあと1年と話すのを耳にしてしまう。 刈り入れが終わり、季節労働者たちは次の土地を目指す時期が来て、チャックはアビーにこのまま残ってほしいと持ちかける。戸惑うアビーはビルに相談するが、ビルは意外にもアビーに彼の好意を受け入れるように言う。 王様のような暮らしを夢見るビルはこれまでのみじめな生活から這い上がるチャンスがほしかったからだ。悩んだ末、収穫祭の夜にアビーは真実を隠し、ビルとリンダと一緒に滞在することを条件にチャックの申し入れを受け入れた。 収穫祭の夜が明けると大勢の季節労働者たちは列車に乗り、次の土地を目指して行った。静かな時が流れる農場でビル、リンダ、アビーとチャックの新しい生活が始まる。自分の仕事を見つけたいとリンダに語るアビー。どん底から這い上がれない 苦しみをチャックに語るビル。ダンサーになりたかったと踊ってみせたアビーに「愛してる」と告白するチャック。その話を聞いたビルは、躊躇するアビーにチャックの余命を思い出させ、少しの間我慢すれば、また三人で別の土地へ行けるはず、とチャックと結婚するよう説得する。アビーは気が進まないままビルの提案を受け入れた。

柔らかな日差しが差す農園でチャックとアビーの結婚式が行われ、二人は新婚旅行に出かけた。屋敷を自由に使っていいと言われたビルは初めて触れる豊かな暮らしに息をのみ、胸が高鳴る。やがて四人の新しい生活が始まった。大自然の中で働く代わりに一日中、冗談を言い、遊んで暮らす毎日。それはま さにビルが長年夢見た王様の暮らしだった。だが、ビルは寂しさからチャックの目を盗んでアビーを夜中に誘い出し、二人の時間を過ごさずにはいられなかった。 そんなビルとアビーに以前から疑いの目を向けていたのは年老いたチャックの使用人ベンソン(ロバート・ウィルク)だ った。彼はチャックに「あなたは騙されている」と進言するが、アビーを愛するチャックは余計な摩擦を避けるため、彼に北部の農場へ行くよう命じる。旅立つベンソンは射るような目でビルを見つめ「お前の魂胆はわかっている」とくぎを刺して去って行った。

事実が発覚することを恐れながらもチャックの優しさに愛を感じ始めたアビー。親密になっていく二人を目にし、次第に動揺を隠せなくなるビル。 ある日、チャックとビルは狩猟に出かける。銃を手にして獲物を追ううち、抑えきれないシットでビルは殺気立ち、チャックもそれに気づく。破局が近づいていた。ビルがチャックに真実をぶちまけようとしたとき、突然、空から旅 芸人たちの乗った飛行機が現れ、彼の農場にやってきた。退屈な毎日に現れた闖入者。怪しい見世物や珍しい映画、酒、そしてエキゾチックな香り。ある夜、酔ったビルはアビーに熱い口づけをする。それを目撃したチャックはショックを受け 、アビーに詰め寄った。アビーは適当な言い訳でその場を切り抜け、チャックに詰め寄られたことをビルに話す。二人の諍いを知り、アビーがチャックを愛し始めたことを知ったビルは家を出る決心をし、アビーとリンダを残して旅芸人の飛行機で旅立っていった。

ようやくチャックとアビーに穏やかで幸せな日々が訪れた。雪の季節が過ぎ、春がやってきて、親密さを手に入れた二人。やがて麦が育ち、収穫の季節が訪れ、今年も季節労働者たちが大勢やって来た。 アビーへの思いを断ち切れないビルもバイクに乗ってひとり、戻ってきた。彼を目にして不安を隠せないチャック。だがビルは幸せそうなアビーの姿を目の当たりにし、失ったものの大きさを知る。 アビーがチャックを愛していることを確信したビルは彼女に別れを告げ、出ていくことにする。しかし二人の最後の抱擁を遠くから目撃したチャックは誤解して、アビーの背信に動揺する。

そしてある日。ビルが旅立とうとした矢先、イナゴの大群が農場に襲来した。畑をたたき、火を焚いてイナゴの大群を燻し出そうと労働者たちは必死で働くが、被害を食い止めることができず、次第に絶望的になるチャック。混乱したチャックは突然殺気立って、ランプを持ってビルに襲い掛かり、これまでの 怒りを爆発させる。その火が麦に燃え移り、農場は火災で大混乱に。すべてを悟ったチャックと大火災に危険を感じたビルはアビーを連れて農場を出ようとする。だが、それに気づいたチャックは自分を裏切ったアビーを家の柱に縛り付け、ピストルを持ってビルのところへ向かう。バイクの修理をしていたビル に突然襲い掛かるチャック。ビルは驚いて、とっさにドライバーでチャックの胸を突き刺してしまう。事態に動揺したビルは、アビーとリンダを連れだし逃走する。チャックの無残な死を知ったベンソンは警官とともにビルの追跡を開始した。

アビーは後悔の念で打ちひしがれ、三人は行くあてもなく、たださまよい続けた。やがて執念の追跡を始めたベンソンに見つかり、ビルは川べりであっけなく警官の銃に倒れる。リンダを学校に入れ 一人になったアビーは、戦争で徴兵された兵士に交じって汽車に飛び乗り、あてもなく旅立つ。学校にひとり残されたリンダも学校の窓から抜け出し、再び行くあてのない旅へと消えていくのだった。

Terrence Malick (Director)

テレンス・マリック (監督)

1943年11月30日イリノイ州オタワ生まれ。父は石油会社の重役で、その関係でテキサスのワコーとオースティンやオクラホマのバートルス ヴィルで育つ。ハヴァード大学を首席で卒業し、 66年ローズ奨学生に選 出されて渡英し、オックスフォード大学モードリン・カレッジに留学。その後、ケンブリッジのMIT philosophyで哲学を教えると共に、ジャーナリストとして「ニューズウィーク」「ライフ」「New Yorker といった雑誌の記事を発表。69年ベヴァリー・ヒルズに新設されたAFIの映画学校 (American Film Institute Center for Advanced Film Studies)の第一期生となってデイヴィッド・リンチ、ポール・シュレイダーらと共に演出を学び、習作「Lanton Mills」を監督。 ジャック・ニコルソンが監督作「Drive, He Said」(71)の脚本チェックをAIFの生徒に依頼したため、同作に無記名ながら携わる。以後、『ダーディ・ハリー』(71)などもチェックし、スチュアート・ローゼンバーグ監督のウェスタン「ポケットマネー」(72) ではTerry Malick名義で脚本にクレジットされ、1シーンに顔を見せた。続いてトニー・ビル製作「Deadhead Miles」の脚本も担当するも陽の目を見ず、自ら監督となる決心をする。

1973年、マーティン・シーン、シシー・スペイセク主演で殺人犯の逃亡劇を描く『バッドランズ』(地獄の逃避行) で長編監督デビュー。低予算のインディ映画として作られたが、NY映画祭で絶賛されるや大手ワーナー映画が配給権を獲得し、スマッシュ・ヒットとなる。 74年はスペインのサン・セバスティアン映画祭でグランプリと男優賞をW受賞。その後、世界各国で公開されてカルト映画として愛好され、93年にはアメリカ国立映画登録簿の一本となり国宝として永久保存される程の高い評価を確立した。

その後、名義を変えて脚本などにも携わるが、78年には長編監督第2作である本作を完成させるや、高い評価を得、ナショナル・ボード・オヴ・レヴューの作品賞、全米映画批評家賞とNY映画批評家組合賞の監督賞を受賞。翌年はゴールデン・グローブの作品賞と監督賞の候補となり、 アカデミー賞は技術部門で4候補となり撮影賞に輝き、その美しさが世界の注目を集めることとなる。5月には遅ればせながらカンヌ映画祭の正式出品作に選ばれ、監督賞を受賞。その後、 同映画祭ではこの映画のオープニングで使われたサン=サーンス作曲《動物の謝肉祭》の「水族館」が入場テーマとして使われることとなった。

これ以後、パリに移り、幾つかの台本執筆に取り組むが、実現にはいたらず、93年には溝口健二監督『山椒大夫』を舞台脚色し、アンジェイ・ワイダ演出で取り組むも、ワークショップの段階で留まり、本公演には至らなかった。 しかし、ジェイムズ・ジョーンズ原作による戦争映画『シン・レッド・ライン』(98)で久しぶりに監督に取り組むことが知れ渡るや、マリック映画のファンという男優陣がこぞって出演を希望。ショーン・ペン、ジョージ・クルーニー、 ジョン・キューザック、ウディ・ハレルソン、ニック・ノルティ、ジョン・トラヴォルタら有名スターが役の大小を問わず名を連ねると共に、 更にジム・カヴィーゼル、エイドリアン・ブロディ、ベン・チャップリンら若手も多数出演し、話題を集めた。翌年のベルリン映画祭で金熊賞を受賞し、アカデミー賞は無冠だったが監督賞、脚色賞を含む7 部門で候補となるなど注目を集め、過去2作も再評価される。

以後は、エドワード・プレスマンと共にチャン・イーモウ監督『至福のとき』(02)、デイヴィッド・ゴードン・グリーン監督「アンダートウ 決死の逃亡」(04)、 マイケル・アプテッド監督『アメイジング・グレイス』(06)といった作品の製作総指揮を担当。 05年はポカホンタスを描いた長編第4作『ニュー・ワールド』で映像表現が注目を集めた。 最新作はブラッド・ピット、ショーン・ペン共演のファンタジー・ドラマ『ツリー・オブ・ライフ』で本年のカンヌ映画祭で見事最高賞であるパルムドールを受賞し話題になった。 38年間に発表したわずか5本の作品で映画史に伝説を作り上げたマリックは、ベン・アフレック、ハビエル・バルデム、レイチェル・マクアダムズ、レイチェル・ヴァイスといった魅力的なキャストで、 青年時代を過ごしたバートルスヴィルを舞台にしたタイトル未定の新作に取り組んでおり、早くも完成が待たれる。

STAFF PROFILES

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バート・シュナイダー (製作)/BERT SCHNEIDER (Producer)

1934年NY州ニュー・ロシェル生まれ。本名はバートンBerton。父エイブラハム(エイブ)はコロンビア・ピクチャーズの重役。コーネル大学に入学するも、過激な学生運動のため退学となり、それによりベトナムへの兵役も拒否される。 その後年コロンビア・ピクチャーズのスクリーン・ジェムズで働き始めるが、そこで出会ったボブ・レイフェルソン、スティーヴ・ブラウナーとBBSプロダクションを設立。その後、TVシリーズ『ザ・モンキーズ』(66-7) の製作を担当してヒットさせ、67年にはエミー賞のコメディ・シリーズ部門を受賞。68年はレイフェルソン監督で映画版『ザ・モンキーズ/恋の合言葉HEAD!』を製作して、映画界にも進出。 翌年、デニス・ホッパー監督・主演『イージー・ライダー』を手がけてカンヌ映画祭の正式出品作とさせて世界に衝撃を与え、レイフェルソン監督『ファイブ・イージー・ピーセス』(70)、 マリックが協力したニコルソン監督「Drive, He Said」(71)、ヘンリー・ジャグロム監督「A Safe Place」(71)、ピーター・ボグダノヴィッチ監督『ラスト・ショー』(72)を製作。 マリックのデビュー作「地獄の逃避行」(73)は手がけなかったが、彼を映画界へ導いたこともありサンクスとしてクレジットされた。その後、レイフェルソンらと離れ、ドキュメンタリー『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実』(74) に取り組み、アカデミー賞最優秀記録映画賞を受賞。チャップリンを追った『放浪紳士チャーリー』(76)でゴールデン・グローブ記録映画賞候補となった。続いて、ホッパー主演、ジャグロム監督「トラックス」(77) を手がけた後、本作でパラマウントで製作し、高い評価を得た。81年は本作の製作助手だったミッチー・グリーソンの初監督作「Broken English」を手がけたが、興行的な成功は得られず、映画界を撤退した。 私生活では、最初の妻ジュディとは54年結婚するが、71年に離婚し、女優キャンディス・バーゲンと4年間した。その後、本作にサンクスとしてもクレジットされ、「Broken English」(81) にも出演したグレタ・ロニンゲンと結婚。なお、ザ・モンキーズのドキュメンタリー『ヘイ・ヘイ・ウィアー・ザ・モンキーズ』(97)にインタビュー出演している。

ハロルド・シュナイダー (製作)/HAROLD SCHNEIDER (Producer)

1939年1月18日NY生まれ。父エイブはコロンビア・ピクチャーズのCEO、兄スタンリーは同社代表、もう一人の兄バートは本作でも組んだ元映画製作者。ペンシルヴェイニア州ランカスターのフランクリン&マーシャル・カレッジで学ぶ。 在学中からコロンビア映画のTV部門スクリーン・ジェムズ製作のTVシリーズ「Naked City」(59)で製作コーディネーターとして携わり、続いてシリーズ『ルート66』(60)の1stシーズンにロケ主任などとして参加。 兵役で活動を中断するが、それを終えるとシリーズ『インベーダー』(67-8)で助監督を務める。兄バート会社BBS製作の『ザ・モンキーズ/恋の合言葉HEAD!』(68)で製作部主任として参加。 ロバート・アルトマンの『雨にぬれた舗道』(70)に助監督としてつくがクレジットされず、その後はBBS製作作品である『ファイブ・イージー・ピーセス』(70)、「Drive, He Said」(71)、『ラスト・ショー』 「キング・オブ・マーヴィン・ガーデン―儚き夢の果て―」(72)で製作補などとして就き、兄の元を離れてドナルド・サザーランド主演・製作「Steelyard Blues」(73) にも携わった。ボブ・レイフェルソン監督・製作「ステイ・ハングリー」(76)でプロデューサーとなり、今回初めて兄と共に映画をプロデュースした。以後は「ゴーイング・サウス」(78/ジャック・ニコルソン)、 『エンティティ/霊体』(82)、『ウォー・ゲーム』(83)、「The House of God」(84/ドナルド・ライ)、『ブラック・ウィドー』(86)、『誰かに見られてる』(87)、『黄昏のチャイナタウン』(90)、『ホッファ』(92)といった作品を製作。

1994年2月4日心臓発作により急死。55歳だった。妻エイミーはその後、映画のスタッフとして活動している。

ネストル・アルメンドロス (撮影)/NESTOR ALMENDROS (Director of Photography)

1930年10月30日バルセロナ生まれ。本名Nestor Almendros Cuyas。 父エルミニオは作家。フランコ独裁政権を逃れ、18歳の時に家族とキューバに移る。ハバナ大学で哲学と文学を学び、55年に卒業。映画を学ぶため渡米し、NYCCの映画学校で撮影と編集を学び、 56年にはローマに渡りイタリア国立映画実験センターでも学んだ。アメリカに戻り、スペイン語を教えながら、映画評なども執筆。59年よりキューバでカストロ政権を批判したドキュメンタリーに取り組んでいたことが問題となり、危険が及び、61年パリに移る。

フランスでの活動を模索していたが、偶然出会ったパスカル・オビエの紹介でオムニバス『パリところどころ』(64)のエリック・ロメール篇『エトワール広場』の現場を訪れていたが、 撮影監督のアラン・ルヴァンが突然他の作品で降板することとなり、急きょ引き継ぎで撮影を担当。以来、短篇「パリのナジャ」(64)、「今日の女学生たち」(65)、『コレクションする女』(66)、「モーフォコンの農婦」(68)、『モード家の一夜』(69) といったロメール作品を手がけて映画界で注目されるようになり、ジャン・ユスターシュの『サンタクロースの眼は青い』(65)、バーベイ・シュローダーの『モア』(68)など他の監督の作品も手がける。また『野性の少年』(69) と『モード家の一夜』で71年全米映画批評家賞の撮影賞を受賞。以来、『クレールの膝』(70)、『愛の昼下がり』(72)、『O侯爵夫人』(75)、『聖杯伝説』(78/セザール賞候補)、『海辺のポーリーヌ』(82) でロメールと組む一方、『家庭』(70)、『恋のエチュード』(71)、『アデルの恋の物語』(75)、『恋愛日記』(76)、『緑色の部屋』(78/セザール賞候補)、『逃げ去る恋』(79)、『終電車』(80/セザール賞受賞) でトリュフォーと組み、他の仕事で参加できなかった『日曜日が待ち遠しい!』(82)ではアルバニア移民という役を作ってもらい特別出演。

シュナイダー製作『放浪紳士チャーリー』(76)を担当したのに続き、『野性の少年』の白黒映像に感銘を受けたマリックの希望で本作も手がけるが、『恋愛日記』の撮影が重なり、終盤はハスケル・ウェクスラーに任せる。 この映画史に残る見事な映像美が高く評価され、アカデミー賞他を受賞。以来、「ゴーイング・サウス」(78/ニコルソン)、『殺意の香り』(83などを手がけ、『クレイマー、クレイマー』(79)、 『青い珊瑚礁』(80)、『ソフィーの選択』(82)でアカデミー賞にノミネート。トリュフォーの没後はアメリカに移り、久しぶりにドキュメンタリーを2作監督。撮影監督として『プレイス・イン・ザ・ハート』(84)、 『心みだて』(86)、『消えたセクシー・ショット』(87)、『イマジン/ジョン・レノン』(88)、『ニューヨーク・ストーリー』(89/スコセッシ篇)、『ビリー・バスゲイト』(91)といった作品を担当。 1992年3月4日AIDSによりNYで死去。61歳。

ハスケル・ウェクスラー (追加撮影)/HASKELL WEXLER (Additional Photographer)

1926年2月6日シカゴ生まれ。10代からアマチュア映画を撮り始め、その後はカメラ助手となり、教育映画、産業映画などに携わり、ジョン・バーンズ共同監督・製作作「The Living City」(53) では54年アカデミー賞短編記録映画賞にもノミネート。59年バーバラ・バクスリー主演「The Savage Eye」で劇映画の撮影監督となる。以来、「青春のさまよえる時」(60)、「奇蹟の天使」(61)、『アメリカ アメリカ』(63)、 「最後の勝利者」(64)、『ラブド・ワン』(65)などを次々手がけ、『バージニア・ウルフなんかこわくない』(66)でアカデミー賞白黒撮影賞を受賞。 以後『夜の大捜査線』(66)、『華麗なる賭け』(68)などを手掛ける。

69年ロバート・フォースター主演『アメリカを斬る』で劇映画としてデビューし、マンハイム=ハイデルベルク映画祭のグランプリを獲得 (2003年にはアメリカ映画評議会により保存作品に選出)。 翌年はアカデミー賞短編記録映画賞受賞作「Interview with My Lai Veterans」を撮影するなど、ドキュメンタリー映画をメインに手がけていたが、『カッコーの巣の上で』(75) で劇映画の撮影監督としても高く評価されアカデミー賞撮影賞にノミネート。翌年は『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(76)で同賞を受賞。『帰郷』(78)に続いて、『恋愛日記』の撮影ため去ったアルメンドロスから引き継ぎ、本作の追加撮影に参加し、終盤の町 の場面、雪のシーン、つなぎの映像などを担当。 その後も『ローズ』(79)ではコンサート・シーンも手がけ、核廃絶運動コンサートのライブ映画『NO NUKES』(80)、アシュビー監督「大狂乱」(82)、『恋愛日記』の米リメイク「グッバイ、デイビッド」(83)などを担当。 ニカラグアを舞台にした社会派ドラマ「ラティノ」(85)を監督後、ジョン・セイルズの意欲作『メイトワン』(87)で再びオスカー撮影賞候補となり、『ブレイズ』(89)でもノミネート。全米撮影家協会賞は前者で候補となり、後者で受賞、93 年には功績が認められ功労賞を受賞した。その他『カラーズ/天使の消えた街』(88)、『3人の逃亡者』(88)、『アザー・ピープルズ・マネー』『夢を生きた男/ザ・ベーブ』(91)、『フィオナの海』(94)、『狼たちの街』「潜在殺意」(96)、「最果ての地」(99)などを担当。 その後はドキュメンタリーの監督や撮影を中心に商業映画からは遠のくが、息子マークが監督した父のドキュメンタリー『マイ・フォトグラファー』(04)でその仕事の減少した原因と気性を隠すことなく披露した。 07年には人気シリーズ「Big Love」のエピソードでTVの仕事も引き受け、異色ビデオ作『レイチェル・カーソンの感性の森』(08)も担当。新作は『ドラッグストア・カウボーイ』の脚本化ダニエル・ヨストが監督する 「Cunning Little Vixen」(11)と「Doing It All」(12)。 HPはwww.haskellwexler.com

ジャック・フィスク (美術)/JACK FISK (Art Director)

1945年12月19日イリノイ州カントン生まれ。高校でデイヴィッド・リンチと出会い、共にドローイングに熱中し、卒業後も共にペンシルヴェイニア・アカデミーに進学し、在学中はリンチが監督した習作にもクルーとして参加。 卒業後も共にL.A.に行き、スタジオをシェアして創作活動に没頭する。70年代より映画の仕事に携わるようになり、ジョナサン・デミ製作「エンジェルズ/地獄の暴走」(71)で美術監督となる。 以来「メサイア・オブ・デッド」(73)などの低予算映画を担当していたが、マリックの傑作「地獄の逃避行」(73)を担当。この時の主演女優シシー・スペイセクと74年に結婚。 以後、『ファントム・オブ・パラダイス』(74)、「ファンキー・モンキー・ベイビー」(75)、「恐怖の暴力自警団」『キャリー』(76)、『メイク・アップ』(77)といった作品を次々担当。 ルームメイトのリンチが作った長編第一作『イレイザーヘッド』(77)にはデザインではなく役者として宇宙人役でメイクをして登場した。本作で再びマリック作品を手がけた後、『ブルックリン物語』(78)、妻の主演作「Heart Beat」 (80)をデザイン。 80年妻とサム・シェパードが共演した「Raggedy Man」で監督に転身。その後も妻の主演作「すみれは、ブルー」(86)、デル・ショアーズの戯曲《Daddy’s Dyin’》を映画化した『家族狂想曲』(90)、トリート・ウィリアムズ主演の TV映画「Final Verdict」(91)、リンチ製作のTVミニ・シリーズ『オン・ジ・エアー』(92)の2エピソードを監督した。 98年マリックの依頼で『シン・レッド・ライン』を手がけて久しぶりに美術監督の仕事を始め、『ニュー・ワールド』(05)、新作『ツリー・オブ・ライフ』(11)、続く最新作も担当している。 また、旧友リンチの『ストレイト・ストーリー』(99)で初めて美術で参加し、続く『マルホランド・ドライブ』(91)も担当。他に『インベーション』、美術監督組合賞とLA映画批評家組合賞を受賞し、アカデミー賞美術賞候補となった 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)、ロバート・パティンソン主演のヒット作「Water for Elephants」(11)、ポール・トマス・アンダーソン監督「The Master」(02)など矢継ぎ早に手がけている。

パトリシア・ノリス (衣装)PATRICIA NORRIS (Costume Designer)

1970年ハワード・ホークス監督のウェスタン『リオ・ロボ』で女性キャストの衣装を担当。その後、『地平線から来た男』「The Late Liz」「センターコートの幻影」『ブラック・エース』「恐怖の影」(71)、 『候補者ビル・マッケイ』(72)、「西部に来た花嫁」(73)、「悪の天才たち・銀行略奪大作戦」(74)、「輝け!ミス・ヤング・アメリカ」『マスター・ガンファイター』「サンシャイン・ボーイズ」『軍用列車』(75)、 『ミズーリ・ブレイク』『サイレント・ムービー』(76)、『メル・ブルックスの新サイコ』(77)、『カプリコン・1』『ブルックリン物語』『カリフォルニア・スイート』(78)といった映画や、 人気シリーズ『わが家は11人』(72-7)や、『地下室の魔物』(73)、『衝撃の懐妊・私は宇宙人の子を宿した』(74)、『へルター・スケルター』(76/日本は劇場公開)、 「Sybil」(76/ドナルド・ペトリ―)といったTV映画の衣装を次々とデザインする。本作でアカデミー賞衣装賞候補となり、以後も『エレファント・マン』(80)、『ビクター/ビクトリア』(82)、 『2010年』(84)、「キャデラック・カウボーイ」(88)でノミネート。その他『フォー・フレンズ』(81)、『女優フランシス』(82)、『スカーフェイス』(83)、「月を追いかけて」(84)、『ブラック・ウィドー』(87)、『リトル・ニキータ』(88) などを手がけ、『ブルーベルベット』(86)では美術を担当。以来、リンチの作品の重要なコラボレーターの一人となり、オムニバス『パリ・ストーリー』(88/挿話『カウボーイ&フレンチマン』)、話題となった映画『ワイルド・アット・ハート』(90)、 91年エミー賞衣装賞を受賞した人気シリーズ『ツイン・ピークス』(90)、その映画版『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(92、ミニ・シリーズ『デビッド・リンチのホテル・ルーム』(92)、『ロスト・ハイウェイ』(97)、 『ストレイト・ストーリー』(99)で美術や衣装をデザイン。他に『アモスとアンドリュー』(93)、『エンド・オブ・バイオレンス』(97)、『ハイロー・カントリー』(98)、「歌う大捜査線」(03) などで衣装と美術を手がける。長らく現役を退いていたが、07年に本作をファンであるブラッド・ピットの依頼で『ジェシー・ジェームズの暗殺』を手がけた。

エンニオ・モリコーネ (音楽)/ENNIO MORRICONE (Composer)

1928年11月10日ローマ生まれ。父マリオはトランペット奏者。ローマのサンタ・チェチーリアに入学し、46年にトランペット演奏のディプロマを修得。47年より舞台音楽の作曲を始め、 53年よりラジオ・ショーの音楽編曲を担当。ゴッフレード・ペトラッシに師事し、54年作曲のディプロマを修得し、卒業。その後は作曲家として室内楽、管弦楽などの作曲に取り組むが、音楽アレンジャーとして映画に携わるようになり、 61年にTV映画のスコアを担当したのに続いて、ルチャーノ・サルチェ監督「Il federale」で初めて映画音楽を作曲。『太陽の下18才』『狂ったバカンス』(62)、『太陽!太陽!太陽!』(63)、『革命前夜』(64) など次々と担当し、レオーネ監督『荒野の用心棒』(64)で一躍世界に名声を得る。以来、レオーネ監督の一連の作品やマカロニ・ウェスタンで人気となると共に、『アルジェの戦い』『ポケットの中の握り拳』(65)、『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(67/ 後に『キル・ビル』で使用)、『豹/ジャガー』(68/後に『キル・ビル2』で使用)、『真昼の死闘』『殺人捜査』『わが青春のフロレンス』(70)、『死刑台のメロディ』『さらば美しき人』『4匹の蠅』(71)、『刑事キャレラ/10+1の追撃』(72)、 『恐怖に襲われた街』(73)、『家庭教師』『哀しみの伯爵夫人』『地獄の貴婦人』(74)、『アロンサンファン/気高い兄弟』(74/後に『イングロリアス・バスターズ』のテーマ曲に)や、『大きな鳥と小さな鳥』(66)、 『テオレマ』(68)、『デカメロン』(70)、『カンタベリー物語』(71)、『アラビアンナイト』(72)、『ソドムの市』(74) といったパゾリーニ作品などを次々に担当。本作では冒頭で流れたサン=サーンスの「水族館」(組曲《動物の謝肉祭》より)の旋律をベースに、美しいスコアを作曲して絶賛され、アカデミー賞作曲賞に初ノミネート。

以来、『ミッション』(86)、『アンタッチャブル』(87)、『バグジー』(91)、『マレーナ』(00)で候補となり、2007年にはそれまで400を超す映画を手がけたことが認められ名誉賞を受賞した。 その他、『Mr.レディMr.マダム』(78)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)、『フランティック』(88)、『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)、『アタメ』(89)、『ハムレット』(90)、『シティ・オブ・ジョイ』(92)、『海の上のピアニスト』(99)、『宮廷料理人ヴァテール』(00)など 400を超す作品でどの作品でも頭を離れないほどの旋律を生み出した。タランティーノ作品で過去の作品が使われるようになると旧作の見直しと再使用が増え、それと共に自らが指導するオーケストラを率いての演奏会に力を入れ、 日本へも演奏会で2度来日した。『シチリア!シチリア!』(09)以後、スコアを書いていなかったが、今後はトルナトーレ、デ・パルマ、タランティーノの作品で続けてスコアを書き下ろす。 HP: www.enniomorricone.it

CAST PROFILES

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リチャード・ギア (ビル)/RICHARD GERE (Bill)

1949年8月31日フィラデルフィア生まれ。NYシラキューズの高校でトランペット演奏と体操に取り組み、奨学金を得てマサチューセッツ大学に進学。二年で退学し、ミュージシャンとしてバンドを組んでカントリーやブルーグラスなどを演奏して各地を廻る。地方の夏興行の舞台に出演したのを機に、役者に転向し、地方劇団の舞台に立つ。 71年にピーター・アレン主演のミュージカル《Soon》でブロードウェイ・デビューをするが、初日から3日で終わるといいう苦い思いをする。しかし、その音楽監督ルイス・セント・ルイスが担当したミュージカル《グリース》の主演ダニー・ズーコ役のアンダースタディ(代役) となり、その他に仲間のケニッキー、ソニー、ロジャー(パッツィー)、優等生ユージーン、歌手ジョニー・カジノ、MCヴィンス・フォンテーン、ティーンのアイドルなど様々な役を3年間にわたって演じ、 73年のロンドン公演ではダニーを主演した。その後、英国の劇作家アラン・ベネット作《Habeas Corpus》(75-6)のブロードウェイ初演にも出演。その合間を縫って、 73年にはTV映画に初出演し、《グリース》終了後の75年にはTV映画『リチャード・ギア/アメリカン・コップス』、映画「ニューヨーク麻薬捜査線」に出演し、翌年はジャン=マイケル・ヴィンセント主演「Baby Blue Marine」に続き、 人気シリーズ『刑事コジャック』のエピソード『誕生日パーティ』にもゲスト主演。ダイアン・キートン主演『ミスター・グッドバーを探して』(77)では男娼役で出演して強烈な印象を残した。続く本作に《グリース》で同じ役を演じたトラヴォルタと役を競い、 一躍脚光を集め、伊ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞外国男優賞も受賞。

以後、「愛の断層」(78/ロバート・マリガン)、『ヤンクス』(79)などの主演に続いて、79年ロバート・アラン・アッカーマン演出でマーティン・シャーマン作《ベント》のマックス役で話題となり、シアター・ワールド賞にも選出。その公演前に撮影した『アメリカン・ジゴロ』(80) が公開されるや大ブレイク。以来、『愛と青春の旅立ち』(82)、『ブレスレス』「愛と名誉のために」(83)、トランペット演奏を披露できた『コットン・クラブ』(84)、『キング・ダビデ/愛と闘いの伝説』(85) 『ノー・マーシィ/非情の愛『キングの報酬』(86)、『マイルズ・フロム・ホーム』(88)、『背徳の囁き』(89)、大人気となった『プリティ・ウーマン』(90)、日本語でも演じた黒澤明監督作『八月の狂詩曲』(91)、 製作総指揮にも携わった『愛という名の疑惑』(92)、『ジャック・サマースビー』(93)、『心のままに』(93)、久しぶりのTV映画出演で高く評価された『運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した』(93)、 『わかれ路』(94)、『トゥルーナイト』(95)、『真実の行方』(96)、『ジャッカル』『北京のふたり』(97)、『プリティ・ブライド』(99)、『オータム・イン・ニューヨーク』『Dr. Tと女たち』(00)、 『運命の女』(02)、ゴールデン・グローブ主演男優賞受賞『シカゴ』(02)、邦画リメイク『Shall we Dance?』(04)、『綴り字のシーズン』(05)、『ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男』(06)、『消えた天使』『アイム・ノット・ゼア』(07)、 『最後の初恋』『HACHI 約束の犬』(08)、『クロッシング』『アメリア 永遠の翼』(09)といった作品で活躍。その後は、マイケル・ガートランドと共同監督・製作によるドキュメンタリー「Yankeeland: In the Shadow of the Stadium」に取り組んでいる他、 「Henry and Me」でアニメ声優にも初挑戦。11年はティム・ロス共演「Arbitrage」の撮影に取り掛かるなど、意欲的に活動している。なお、親日家としても有名で、日本のTV-CMや、 『笑っていいとも!』のテレフォン・ショッキング、『SMAPxSMAP』のビストロSMAPなどのバラエティのゲスト出演も多数こなしている。

ブルック・アダムズ (アビー)/BROOKE ADAMS (Abby)

1949年2月8日ニューヨーク生まれ。父ロバートはCBS-TVの元副会長、その父は第2期アメリカ合衆国大統領ジョン・アダムズで、ブルックは子孫にあたる。 6才の時、父が運営した劇団で再演したミュージカル《フィニアンの虹》に通行人として初舞台を踏む。63年シリーズ「East Side/West Side」のエピソードでTVデビューし、 65年はシリーズ「O.K. Crakerby!」に娘役でレギュラー出演。その後はNYパフォーミング・アーツ高校で演技、アメリカン・バレエ学校で舞踊を学び、その後、ヨーロッパに渡り、ホラー「モルグ街の殺人」(71)にクレジットもない小さな役で出演し、 その後もロケ地となったスペインに滞在。帰国し、更にアクターズ・ステュディオでリー・ストラスバーグにも師事しながら、『華麗なるギャツビー』「ブルックリンの青春」(74)などにエキストラ出演。 卒業後は「反逆のヒーロー/ジェームズ・ディーン」(76)などのTV映画に次々と出演し、『女刑事ペパー』(76)、『刑事コジャック』(76) などの人気シリーズのエピソード・ゲストや、ヒット・シリーズ「Family」(77-8)にも数回出演して名声を得る。

映画は、『カー・ウォッシュ』(76)で役を得るも、出演シーンが削除。しかし、ピーター・クッシング共演「ゲシュタポ卍死霊軍団/カリブゾンビ」(76)で初めてヒロイン役を得、続く本作で国際的にも認知されるようになる。 以後、サターン賞の最優秀女優賞にノミネートされた『SF/ボディ・スナッチャー』(78)を始め、『さらばキューバ』(79)、「男と恋と銀行泥棒」(79)、「勝利への大停電」(82)、『デッドゾーン』(83)、「陽気にフリンやろう!」(85) などで活躍し、81年にWPA劇場というオフ・オフ・ブロードウェイで主演した舞台《Key Exchange》の映画化「恋人たちの合鍵」(85)にも主演した。 ミニシリーズ『レース』(84)以後は再びTVでも活躍し、ヒット・シリーズ『こちらブルームーン探偵社』(88)などにゲスト主演。

89年はピュリッツァ賞受賞、トニー賞に輝いたウェンディ・ワッサースティーン作《The Heidi Chronicles》のハイディ役をジョーン・アレンから引き継ぎ、ブロードウェイ・デビュー。 終演後は『ガス・フード・ロジング』(91)での好演でインディペンデント・スピリット賞助演女優賞にノミネート。92年は舞台で共演したトニー・シャルーブと結婚し、彼の幼い末娘ジョージ―・リンを養女として迎え、 94年には二人目の養女ソフィーを迎えた。その後は育児の側ら、『そりゃないぜ!?フレイジャー』(95)、『GUN』(97)といったTVにエピソードや、映画「ベビー・シッターズ・クラブ」にも出演。

2002年、夫シャルーブ主演のTVシリーズ『名探偵モンク』のシーズン1最終エピソードでゲスト主演して本格復帰し、続いて夫が監督した「Made-Up」(02)を主演・製作。 その後『名探偵モンク』には09年の最終シーズンまで毎回違う役で計5回登場。映画も「At Last」(05/トム・アントン)、「ザ・レジェンド・オブ・ルーシー・キーズ」(06)、 「The Accidental Husband」(08/グリフィン・ダン)といった作品に出演し、09年は短篇「Pet Peeves」を製作・監督・執筆。

10年はトニー賞リバイバル作品賞候補となった《レンド・ミー・ア・テナー》に夫と出演した後、アトランティック・シアター・カンパニーが公演した《桜の園》でラネフスカヤ夫人を主演。新作はフィリップ・カウフマンが豪華キャストで取り組むTV映画 「Hemingway&Gellhorn」(スペイン女性役)。

サム・シェパード (農場主チャック)/SAM SHEPARD (Chuck, the Farmer)

1943年11月5日イリノイ州フォート・シェリダン生まれ。本名はSamuel Shepard Rogers。父は空軍士官、母は教師。加州デュアーティ Duarteに移り住み、高校在学中は演劇、詩作などに取り組むと共に、チノの農場で馬の世話もした。 61年に卒業すると獣医を志すが、マウント・アントニオ・ジュニア・カレッジで農業を学ぶ。しかし、近くを訪れた巡業劇団の公演に参加するため1年で退学。62-3年の巡演後にNYに移り、グリニッジ・ヴィレッジで暮らしながらバス運転手として働く。 仕事の合間を縫って執筆に取り組み、前衛的な1幕劇を書き始め、64年オフ・オフ・ブロードウェイのジェネシス劇場でダブルビル《Cowboys》《ロック・ガーデン》を発表。これが注目され、ミネソタ大学が作品を委託し、 《Chicago》《イカルスの母》《赤十字》という3作品を書き上げ、この偉業により3作に対してOBIE賞が与えられる。67年は初めての長編戯曲《La Turista》を取り組み、 再びOBIE賞を受賞する一方、バンドThe Holy Modal Roundersの3rdアルバム「Indian War Whoop」にドラマーとして参加。68年は《Melodrama Play》と《Cowboys #2》でもOBIE賞を獲得。

69年にはオラン・ジョーンズ・ダークと結婚し、息子ジェシー・モジョをもうける。また、バンドの4thアルバム「Moray Eels Eat the Moly Modal Rounders」にタンバリンで参加し、TV劇「Fourteen Hundred Thousand」 (69/邦訳題「百四十万」)、ミュージカル《オー!カルカッタ》の協力、ロバート・フランク監督作「Me and My Brother」の脚本を共同執筆するなど意欲的に活動。 70年はアントニオーニの『砂丘』の脚本に参加すると共に、ウィン・チェンバレン監督「Brand X」に役者として登場、更に《Operation Sidewinder》をヴィヴィアン・ボーモント劇場で上演してブロードウェイ・デビューしたが、肌が合わず、以後は遠ざかる。 71年は歌手パティ・スミスと関係を持ち、家族と共にロンドンで3年間暮らしながら、《The Tooth of the Crime》(72)を書き、73年NYで上演されると再びOBIE賞を受賞する。 帰国し、サンフランシスコのマジック・シアターのレジデンスとなって作家活動を続けると共に、ボブ・ディランの北米ツアー「ローリング・サンダー・レビュー」を映画化する企画の台本として雇われるも、結局ミュージシャンとしてツアーに参加し、 映画版となった4時間近いインディ作品『レナルド&クララ』(78)にも共同脚本と役者として参加。

この後、本作に配役され本格的に映画俳優デビューし、世界にその名を知らしめた。舞台に戻り、オフ・ブロードウェイで上演した《埋められた子供たち》も話題となり、ピュリッツァ賞を受賞。 その後も《トゥルー・ウェスト》(80)と《フール・フォア・ラブ》(84)で同賞候補となり、《A Lie of the Mind》(86)でドラマ・デスク賞新作戯曲賞を受賞する。

一方、本作以後、映画俳優としての活動も増え、「レザリクション/復活」(80)、ジャック・フィスク監督「Raggedy Man」(81)、アカデミー賞助演男優賞候補となった『ライトスタッフ』(83)、 ダイアン・キートン共演『赤ちゃんはトップレディがお好き』(87)といった作品で味のある演技を披露。また、『女優フランシス』(82)、『カントリー』(84)、『ロンリー・ハート』(86)でジェシカ・ラング共演し、 84年には夫人と正式離婚して、ラングと暮らし始める。散文集「モーテル・クロニクルズ」(82)を読んだヴィム・ヴェンダースの依頼で『パリ、テキサス』(84)で映画脚本も手がけ、これがカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞。続いて、自作舞台をアルトマン監督した 『フール・フォア・ラブ』(86)の映画化では脚色のみならず、自ら主演。更に『ファーノース』では監督デビュー。

その後は『マグノリアの花たち』(89)、「ブライト・エンジェル/密会」(90)、『ボイジャー』「ディフェンスレス/旅立ちの予感」(91)、「サンダーハート」(92)などに次々出演し、 92年には「アメリカンレガシー」(93)を監督。また、戯曲《飢えた階級の呪い》(78)が「ウェストン家の奇蹟」(94)、《Simpatico》(94)が『背信の行方』(99)として映画化された。役者としては『ペリカン文書』(93)「運命の絆」 (94)、『ヒマラヤ杉に降る雪』(99)、「ニューヨークの亡霊」(99)、『ハムレット』『すべての美しい馬』(00)、『ブラックホーク・ダウン』『プレッジ』(01)、『レオポルド・ブルームへの手紙』(02)、『きみに読む手紙』 (04)、『ステルス』(05)、『マイ・ブラザー』(09)など多数出演し、久しぶりにヴェンダースと組んで『アメリカ、家族のいる風景』の脚本も担当。本作のファンであるブラッド・ピットの希望で『ジェシー・ジェームズの暗殺』(07) に父役で共演し、グリフィン・ダン監督「The Accidental Husband」では久しぶりにブルック・アダムズと再共演した。なお、劇作家としてもコンスタントに作品を発表し、09年はダブリンでスティーヴン・リア主演《Age of the Moon》を初演し、 10年にはアトランティック・シアター・カンパニーにより米初演した。 HP:www.sam-shepard.com

リンダ・マンズ (リンダ/ナレータ)/LINDA MANZ (Linda/Narrator)

1961年8月20日NYシティ生まれ。父が2歳の時に蒸発し、母は彼女を養うために病院の調理係と洗濯婦をしていた。生活のため、マンハッタンの児童劇団に所属し、本作のオーディションに応募したところ、このリンダ役をなかなか見つけられなかったキャスティングのバーバラ・クレイマンが見つけ、 マリック監督が気に入りカメラ・テストなどを経て無事獲得。当時17歳になるところだったが、12歳のリンダ役を見事に演じて、一躍注目を集める。

翌年は映画『ワンダラーズ』、「Boardwalk」(スティーヴン・ヴェローナ監督)、TVミニ・シリーズ「Dorothy」、TV映画『アドベンチャー・トレイン/大草原を突っ走れ!夢と希望のアメリカ横断』 といった作品に次々とキャスティングされる。80年はデニス・ホッパー監督・共演「アウト・オブ・ブルー」に主演。続く『恋とゲームと4人組』ではレイフ・ギャレット」と共演。 83年は西ドイツでグスタフ・エームック監督「Mir reicht’s . ich steig aus」という作品にも出演。85年はシェリー・デュヴォール製作のTVシリーズ『フェアリー・テール・シアター』の『雪の女王』篇にも顔を見せた。

その後の85年、年の離れた撮影助手のロバート”ボビー”ガスリー(『おかしなおかしな大追跡』『ミズリー・ブレイク』)と結婚し、 LA郊外のレイク・ヒューズに移り住み、農園管理人として生活。また、マイケル、クリストファー、ウィリアムという3人の息子にも恵まれた。

94年にはその後の動向が追った取材記事がピープル誌に載り、97年には本作の熱心なフヴンであるハーモニー・コリンが『ガンモ』 にソロモンの母役で起用することに成功し、更にディヴィッド・フィンチャーもヒロインのルームメイトとして『ザ・ゲーム』に登場させた。

ロバート・ウィルク (農場長ベンソン)/ROBERT WILKE (Benson, the Farm Foreman)

1914年5月18日シンシナティ生まれ。本名Robert Joseph Wilke。両親はドイツ移民で、姓はドイツ読みでヴィルケ。マイアミのホテルでライフガードとして働き始めるが、 『桑港(サンフランシスコ)』(36)のスタントの仕事を得て、映画界入り。以来、クレジットのない端役ながらウェスタンなどに多数出演。 『真昼の決闘』 (52)に駅で待つ3人の男の一人で認知されるようになり、以後『虐殺の砂漠』『決闘の谷』(52)、『カウボーイ魂』(53)、『アロウヘッド』『遠い国』『海底二万哩』(54)、 『死闘の丘』『法律なき町』『顔役時代』『六番目の男』(55)、『西部の王者ローン・レンジャー』『西部の血煙』『風と共に散る』(56)、『翼に駆ける命』『夜の道』(57)、 『西部の人』(58)、『荒野の七人』『スパルタカス』(60)、『札束の報酬』(61)、『ガン・ホーク』(63)、『残虐療法』『不時着』(64)、『ビッグトレイル』(65)、『トニー・ローム/殺しの追跡』(67) といった映画に次々と出演。

TVは、シリーズ『テキサス平原児』(51-2)に度々出演したのを始め、『ローン・レンジャー』(50-2)、『カウボーイGメン』(52-3)、 『スーパーマン』(54)、『名犬ラッシー』(56)、『ララミー牧場』(59-63)、『ボナンザ』(60-69)、『ローハイド』(63)、『逃亡者』(66)、『ターザン』(66-8)、『燃えよ!カンフー』(73)、『刑事スタスキー&ハッチ』(76) といった人気作に次々とゲスト出演した。

5年ぶりの映画となった本作で農場長を好演した後、トム・ストーバート監督「The Great Monkey Rip-Off」(79)で初めて製作にも参加。ヒット・シリーズ『ダラス』(79)、『トラック野郎! B・J』にもエピソード出演。ヒット・コメディ『パラダイス・アーミー』(81)の将軍役でゲスト出演した後、引退。

85年にはウェスタンものに貢献した人物に贈られるゴールデン・ブーツ賞に選出された。1989年3月28日癌のためL.A.で死去。74歳だった。

THEATER

上映劇場と上映スケジュールのご案内
北海道東北関東・甲信越中部・北陸関西中国・四国九州・沖縄
北海道
北海道 札幌市 シアターキノ 011-231-9355 上映終了
函館市 シネマアイリス 0138-31-6761 上映終了
東 北
関東・甲信越
東京 新宿 新宿武蔵野館 03-3354-5670 上映終了
武蔵野市 吉祥字バウスシアター 0422-22-6631 上映終了
世田谷区 下高井戸シネマ 03-3328-1008 上映終了
神奈川 横浜市 シネマ・ジャック&ベティ 045-241-5460 上映終了
川崎市 川崎市アートセンター 044-955-0107 近日
川崎市 ザ・グリゾムギャング 044-966-3479 5月19日
群馬 前橋市 シネマまえばし 027-231-8000 上映終了
中部・北陸
愛知 名古屋市 名古屋シネマテーク 052-733-3959 上映終了
富山 富山市 フォルツァ総曲輪 076-493-8815 上映終了
関 西
大阪 大阪市 シネ・ヌーヴォ 06-6582-1416 上映終了
京都 京都市 京都みなみ会館 075-661-3993 上映終了
兵庫 神戸市 神戸アートビレッジセンター 078-512-5353 上映終了
中国・四国
広島 広島市 サロンシネマ 082-241-1781 上映終了
広島 尾道市 シネマ尾道 0848-24-8222 上映終了
愛媛 松山市 シネマ・ルナティック 089-933-9240 5月26日
九州・沖縄
大分 大分市 シネマ5 097-536-4512 3月24日
鹿児島 鹿児島市 ガーデンズシネマ 099-222-8746 5月5日